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NASCAR (ナスカー:National Association for Stock Car Auto Racing)

NASCARはアメリカの伝統です

第二次世界大戦後の時代にアメリカ経済は急成長期に達し、より多くの人々がエンターテイメントにお金を費やしました。安価なガソリン補給で済むダートトラックレースが、レーストラック用の広大な土地があるアメリカ南部地方で既に人気がありました。1948年、ビル・フランス(Bill France)が、次の50年間にカーレースを飛躍的に発展させた、カーレースの土台を築きました。最初の公式NASCARレースは、1948年2月15 日にデイトナ(Daytona)で開催されました。この年には、NASCAR シーズンは50レース開催されました。本来のストックカーは、アメリカの高速道路を走る自動車と同種の自動車を使用していました。

NASCARは、アメリカ南部の未舗装道路と山道に由来しています。1980年代まで、アメリカ南部は、多数の広々とした土地のある一連の地方コミュニティーでした。アメリカ南部の大部分は農地でした。アメリカ南部は公共交通機関が行き届いていなかった、自動車が必需品でした。最初期のストックカードライバーたちは、税金支払を避けるために酒類を密造し、その酒類を運搬するために片田舎を運転した、密輸入者の運転スタイルを真似しました。アメリカ国内では、税金を納税せずに酒造および酒類販売することは違法です。

NASCARレースは国内で急速に浸透しました

1948年、デイトナから開始したNASCARは、1951年にはアメリカ国内に広がりました。最初の西海岸でのNASCARレースは、ガーデナ(カリフォルニア州)で開催されました。デトロイトは、市制250周年を記念し、グランドナショナルシリーズレースを開催しました。また、1951年には、NASCARはアマチュアと週末レーサーのためのレースとして「スポーツマン・リシーズ(Sportsman Series)」を追加しました。

Mike and NASCAR racecar © USATourist.com
の旅行中にNASCARレースカーの前でポーズをとるMike。

1954年には、デイトナでスピードウィークをお祝いしている30分間のテレビショー「ワイヤーウイールズ(Wire Wheels」」がニューヨークで放送され、この時NASCARのテレビ中継が開始されました。他のテレビ番組もワイヤーウイールズに続きテレビ中継を開始しました。また、1954年は、あるレーサーがレース中に彼のクルーと通信のために双方向無線使用した、最初の年でもありました。NASCAR伝説のリチャード・ペティ(Richard Petty)の父であるリー・ペティ(Lee Petty)は、1954年にグランドナショナルチャンピオンシップで優勝しました。 

1958年に、リチャード・ペティは本格的なNASCARレースを開始しました。この同年に、ファイアーボール・ロバーツ(Fireball Roberts)は最初のNASCARレーサーとして、フロリダ・スポーツライター協会から「プロフェショナル・アスリット・オブ・ザ・イヤー」に認められたました。

1950年代および1960年代までには、ファイアーボール・ロバーツやジュニア・ジョンソン(Junior Johnson)のようなスターレーサーたちが、スピードストックカーのグループから出現しました。1950年、ダーリントンにレーストラックがオープンし、スーパースピードウェイレース時代が始まりました。1960年代には、今でも「モータースポーツのメッカ」として知られるシャーロット(Charlotte)とノースカロライナ(North Carolina)にレーストラックがオープンしました。

リチャード・ペティは1960年代前半まで、レースカースポーツの頂点に君臨しました。今でも彼は「NASCARのキング」と呼ばれています。多数の他レーサーたちと同様にペティ家も、ガーレーサーという職業が代々受け継がれています。リチャード・ペティは長年に渡って大活躍した伝説的なスパースターです。

南部の州から他の州へ

NASCARは地方スポーツでしたが、今では全国的スポーツになっています。FOX テレビジョンネットワークのNASCAR放送が多数の視聴者を引きつけています。元レーサーのダレル・ウォルトリップ(Darrell Waltrip)は、弟のマイク(Mike)がレースで競っている間、テレビマイクの前でレース中継を行います。

ニューイングランドからカリフォルニア州まで、国内至る場所のレーストラックで NASCARイベントが主催されます。派手なラスベガスでさえもこの南部のスポーツを主催します。シーズンが開始する2月からシーズンが終了する11月まで、シーズン中にスピードの速いレースカー情報とレースニュースを毎日更新できます。

今日のNASCARは、最上級カテゴリーとして扱われる3カテゴリー「大シリーズ戦」から成っています。第一のNASCARシリーズであるウィンストンシリーズ(Winston series)は、レース参加車は750馬力のエンジンを搭載しており、レースコースで時速200マイルに達します。2001年度ウィンストンカップスケジュールでは、23レース場で36イベントがリストされました。ブッシュシリーズ(Busch series)のレース参加車は、550馬力のエンジンを搭載しており、ウィンストンシリーズより少し遅いスピードで走行します。多数のドライバーたちはこの両シリーズで競争します。何人かのドライバーは、ウィンストンカップに繰り上がるためにブッシュシリーズを利用します。また、NASCARは、ピックアップトラックが時速150マイルでレースコースを走行する、クラフトマントラックシリーズ(Craftsman Truck series)も主催しています。

Anny and NASCAR racecar © USATourist.com
でNASCARレースカーに乗って猛スピードで走るための準備をしているAnny。

一週末レースは数日イベントです

決勝レース前に、レーサーたちはポールポジションを競います。1つのNASCAR チームは、ドライバー、ピットクルーとクルーチーフの各一人ずつで構成されます。多数のレースでは、これらのクルーが行う4つのタイヤの交換、燃料補給、 15秒未満間の少ない調節などの技術で勝ち負けが決まります。また、NASCARチームにはドライバーたちがレーストラックのどの位置にいるか、レース中チームドライバーに通信する熟練した監視者たちもいます。多数のレースコースでは、ラジオを貸し出しており、これらレースチームメンバー間の通信を聞くことができます。

現シリーズ戦は、アメリカ国内各地のレースコースで開催されています。ウィンストンカップは、アトランタ(ジョージア州);ブリストル(テネシー州);フォンタナ(カリフォルニア州);シカゴ(イリノイ州);ダーリントン(サウスカロライナ州);デイトナ、ホームステッド・マイアミ、タラデガ(フロリダ州);ドーバー(デラウェア州);シャーロット(ノースカロライナ);インディアナポリス(インディアナ州);フェニックス(アリゾナ州);ワトキンスグレン(ニューヨーク州);ラスベガス(ネバダ州)、そして他の会場で予定されています。ウィンストンカップまたはブッシュシリーズレースの全リストはこちらからご覧いただけます www.nascar.com

レース観戦チケットをオンラインで購入

オンラインチケット購入は、NASCARサイトのお好きなレースコースのウェブページリンクからご覧いただけます。全レースコースにはフリーダイアルが設置されており、NASCARサイトにアクセスでき、電話で簡単にチケット購入予約ができます。ダーリントンのサザン500、デイトナのデイトナ500、またはシャーロットのローズ・モータースピードウェイのコカ・コーラ600以外のほとんどのレースは、レース当日でもチケットが購入できます。

レースコースに行く事はできないけれど他のカーレースファンと一緒に観戦したい、あるいはカーレースをもっと楽しみたい場合、NASCARカフェでのお食事がお勧めです。このストックカー・テーマレストランでは、カーレースのお土産を販売しており、さらにカーレースをワイドスクリーンテレビで観戦できます。NASCARカフェでは、レースドライバーの演出とサイン会をスポンサーしています。NASCARカフェはオーランド(フロリダ州)、マートルビーチ(サウスカロライナ州)、ナッシュビル(テネシー州)、ラスベガス(ネバダ州)、セヴィアーヴィル(グレート・スモーキー山脈:テネシー州)にあります。NASCARカフェのメニューは本当のアメリカの食事が楽しめる、大きなハンバーガー、バーベキューリブ、量の多い、アメリカ人に人気な食べ物を取り揃えています。NASCARカフェのドアを開けた瞬間からカーレース体験ができます。カフェのスタッフがお客様の「ポールポジション」指定し、ピットクルーのように全レース作業を開始します。

もし本物のカーレース体験をしたい場合は、実際にレースカーのハンドルを握りレースコースを走る、短い体験コースを受講することができます。アメリカ国内各地のほとんどのレースコースでは、各種運転体験コースを提供しています。

バック・ベーカー(Buck Baker)氏のドライビングスクールでは、面白い体験コースを提供しています。たった50ドルで、プロのレースドライバーと一緒にレースカーに乗り、レースコースを走行できます。この「ホットなラップ」体験は、アトランタ、ブリストル、ダーリントン、さらにロッキンガムで体験可能です。また、このドライビングスクールでは、半日ドライビングコースから数日間のドライビングコースまで、各運転レベルコースを提供しています。電話1-800-529- BUCK、またはウェブサイトwww.buddybaker.com/race.htmlからご覧ください。

1975年、重要なイベントがNASCARに起こりました

ラフル・アーンハート(Ralph Earnhardt)の息子でカナポリス(ノースカロライナ州)出身のダートトラックレーサーが、シャーロットで彼の最初のNASCARレースに出場しました。その後25年以上に渡り、デイル・アーンハート(Dale Earnhardt)と彼の黒の番号3が、ファンの心をつかみ、NASCARを主流に近づけることに貢献しました。

デイルのドライビングスタイルはユニークでした。デイルは他のレースドライバーたちの中で「駆け引きを演じ」、レースコースの通行を切り抜け、激しい競争心で勝利のために戦いました。彼のレース経歴の全体にわたり、多数のドライバーたちが「バックミラーにデイルの番号3を見ること」を一番恐れたとコメントしました。NASCARファンたちはデイル・アーンハートに熱情的でした。 NASCARファンたちは彼をとても愛したか、またはとても嫌ったかのどちらかでした。デイルがレースコースに入場すると、彼は他のレースドライバーのだれよりも多くの喝采とブーイングを受けました。

NASCARはヒーローを失いました

デイルの個性が彼をアメリカのアイコンにしました。彼は熱心でスピード速く、そして競争相手を引き離し運転しました。デイルはレースコース内に待機していた救急車から這い出し、破壊されたレースカーに登り、レースを終了しました。私たちが思う国民的英雄と見なす特質を彼が具体化しました。デイルは製造工場のある町の貧しい家に生まれました。勤労と継続が彼を大富豪にしました。しかし、デイルの最後のインタビュー中に、レースコースでは何も恐れる物はないが、妻と子供が不幸せな状況を考えると恐怖でおののくと言ったほど、彼はとても家庭的な人でした。

伝説のチャンピオンであるデイル・アーンハートは、2001年のデイトナ500の最終ラップ最終コーナーでの事故により帰らぬ人となりました。自動車番号8を運転していたデイルの息子のデイル・アーンハートJR.が、このレースで2位にゴールしました(番号8もアーンハートJR.の祖父ラルフの番号でした)。デイル・アーンハートの死は、彼の追悼式のために地元レースコースに参列した多数のファンを深い悲しみに包みました。

原作筆者: Diane Goldberg
訳: Yoko Sugiyama
上部写真撮影: © USATourist.com
写真詳細: にNASCARレースカーが勢ぞろいしました。